4世代8人国際家族の文鮮明、韓鶴子夫妻に学ぶエッセイ                                      文鮮明師御夫妻のみ言と生きざまに学ぶエッセイ

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ケネディ国際空港での出来事

                            
                        ジョン・F・ケネディ国際空港
                            (ジョン・F・ケネディ国際空港)

2003年9月1日、ジョン・F・ケネディ国際空港での出来事である。

アメリカ、ニューヨークでの宣教任務を終えて帰る時のこと。

私が日本に帰国すると知って、公館(ベルべディア)に帰国の前日、私は呼ばれた。

ご子女様の大事な荷物を日本まで運んで欲しいとのことだった。

その荷物は、チェックの柄で伸縮可能な布製のとても大きな旅行バックであった。

一人では運べずに、数人が手伝って車に乗せて宿泊先の教会ダウンタウンまで運んでもらった。

帰国当日朝9時に、私を空港まで送って下さるはずの人達が、
早朝訓読会に出席するために都合が悪くなってしまった。

朝の2時(つまりAM2時)なら送ってあげると言われた。

私のフライトはユナイテット航空801便、13時ジャストである。

送ってもらうには、あまりにも早すぎる。しかしタクシー代節約のためには仕方ない。

まだ星の明るい午前2時、私は大きな荷物と一緒にジョン・F・ケネディ国際空港に向かった。

車で約1時間、空港に到着。


しかし空港内部は電気が点いていたが入口のドアは鍵がかかっていた。

外にいることはできない、ドンドンと入口のガラス戸をたたくと中から警備員さんが出てきた。

中に入れて欲しいと頼んだが断られた。

「朝7時に開くので出直して来い」と彼は言った。

「荷物がたくさんあってそれはできない。入口ドアの隅でいいから入れて欲しい…」と懇願した。

「もう仕方ないな~」と迷惑そうな口調でドアを開けて彼は立ち去った。

アメリカ、ケネディ国際空港はとても大きな空港である。

私は、自分のスーツケースと大事な荷物を引きずって中に入り、近くのベンチに腰かけた。

AM3時、誰もいない、ガランとした空間の中で私一人。

何の音もしない。ただエアコンから噴き出してくる冷気の音が、やけに大きく聞こえる。

しばらく座っていると、体がグングン冷えた。

エアコンの冷気が高い天井からまっすぐ降りて、私の体を直撃していた。

こんな所で朝7時までいたら大変なことになる…。

エレベーターもエスカレーターも止まっている。

大事な荷物を置いたままにしてどこにも行けない。


時々、あの警備員さんが、怖そうな目つきで私を見ながら目の前を通り過ぎる。

大きな荷物を抱え込んで眠ろうとしたとき、なんと子女様のバックが破れているではないか!

中の衣類がのぞいていた。誰の荷物かわからないが大事なものである。

「ワッ~! 大変なことになった! どうしよう!」

「無事に届けてください。大事な荷物だからよろしくお願いします!」と言われた言葉が蘇る。

私は自分のスーツケースにかけていたベルトをはずして、破れを補強した。

朝7時、7時になったらなんとかなるかも…。しかし、何と長い時間であろうか。

定期的にやって来て私を見て行く、警備員さんの姿が遠くに見えると、私は寝たふりをした。

寝たふりも、いつの間にか本当の眠りになり、ありがたいことに時間がだいぶ過ぎていた。

周りにちらほら人の姿が見える、空港の職員らしい。

あの警備員さんが近づいて、初めて私に声をかけてきた。

「7時になったら、地下にあるコーヒースタンドが開くよ。温かいコーヒーでも飲みなさい」と言った。


7時になった。

今まで止まっていた、電光掲示板も作動し始め、にわかに空港が動き出した。

「温かいコーヒー」は、冷えた体を温めるには福音である。

しかし、この壊れた大きな荷物を引きずっては動けない。

さらに私のフライトチェックインは、2時間後の9時である。

空港内に人が増えてくると私の姿は、雑踏の中の小さな一点にすぎない。

誰も私を注目はしない、やっと私は安心した。


私の背中を誰かが叩いた、いつの間に眠ってしまったようである。

顔をあげると、あの警備員さんではない別の警備員さんがコーヒーカップを手にして立っていた。

そして言った、「チェクインの時間だよ。これを飲んでから○○カウンターに行ったらいいよ」

きっと、あの怖そうな警備員さんが、交代した彼に私のことを伝言したに違いない。


フライトの時間を聞かれ「午後の1時です」と答えたとき、すごくびっくりしていたあの警備員さん。

彼にお礼も言えないまま、温かいコーヒーとあの警備員さんの親切と愛を飲みほして、

私は11時間後、たくさんの思い出を胸に秘めてアメリカを飛び立ったのです。


こんな記録を作ったのは私だけではないかもしれませんが、こんな思い出をたくさん作ってくださったアメリカの人達に感謝しました。

                   *

海外宣教! 文鮮明師は1950年代から過去にたくさんの宣教師を180ヶ国以上の世界各国に送った。

私もそのひとりであって、特に2002年の宣教は14万4千のアメリカ聖職者祝福のための派遣であった。

天命を受け出発するが、先々でいろんな危険やハプニングが起きる。

しかし、そんな時、私はたくさんの人を通して私を守っている神様を、いつも傍に感じるのである。

涙と汗の苦労はたくさんあるが、しかしそれはそれ以上の大きな感謝と喜びに変わる。
                         
                   *

2003年9月1日、日本に帰ってしばらくしてから、ご子女様からお礼の手紙とプレゼントが届いた。

中味は、淡いピンク色の靴下カバーであった。

それは、あの懐かしい思い出と大事な私の宝物となっている。




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神に捧げた愛と命とー殉教(5)-

殉教された城間礎子さんの尊い生涯を『神に捧げた愛と命と』(光言社)を参考に書かせていただきます。

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城間礎子(しろまもとこ)さん
 1978年9月23日 沖縄県石垣市にて出生
 1987年6月     世界基督教統一神霊協会に入京
 1994年9月20日 赤道ギニア共和国で活動
  *女性のための職業訓練校建設(昇華後、「モトコ・スクール」と名称)
 1995年2月9日  脳性マラリアが原因で昇華(享年26歳)
 2004年5月1日  殉教部門の特別功労賞受賞

最初にみ言葉に出会ったのは,礎子さんの姉広美さんで、看護学校の学生であった。
22歳で献身的に歩む決意をしたが、両親や親せきが猛反対した。
しかし広美さんの信仰は揺るがず、学校を卒業しないまま献身的に歩む道を選んだのである。

礎子さんは広美さんより5歳下の四女。
東京の短大で姉に導かれて教会の教えを学ぶようになった。
二人は父を尊敬していた。
「人の悪口を嫌い、理想世界について語る父の言葉が、小さいころからの私達の人生の指針でした。父は『信仰を持ったらよい』とも言ってくれたのです」
理想主義者であった父の血はこの二人に、とりわけ色濃く引き継がれ、二人が共に希望していたのは奉仕活動であった。

礎子さんは海外に、姉は石垣島に戻ると決め、1994年9月20日、礎子さんは仲間と一緒に成田空港を発った。
父の廣氏さんは礎子さんの海外行きを反対した。

それでも、旅発つという娘の健康を案じて、「激励」と題した電報を打っている。
その電報には、谷村新司の「いい日旅立ち」のメロディーが付いていた。
礎子さんは、赤道ギニアでそのメロディーを聴いては涙したという。

理想主義者の父が、「統一原理」を聞けばきっと喜ぶだろうと、姉妹は「父がみ言葉を聞き神のみ旨の道に立つならば、自分の命は惜しみません、父が追い求めながら、いまだに手にできていないものこそ神様のみ言葉です。どうぞ父が神様の教えに触れることができますように…」と、一緒に祈ったのである。

礎子さんが父親に宛てた手紙には「アフリカはとても素晴らしい国です。解決していかなければならない問題もあるけれど、その手伝いができるのがとても感謝です。
言葉の大きな問題がありますが、ない頭を絞りながら頑張ります」としたためていた。

また、現地の娘に宛てた、父の手紙には「礎子は『教会ではすべてが兄弟姉妹』と言いますね。それではまだまだ青いというもの。『教会では』を『この惑星地球上では』と置き換えて言えるようにならなければいけないと思います」と理想家肌の父親らしい言葉での激励であった。

また人に対する愚痴をこぼす娘に対して「『敵をも愛する』キリストの底知れぬ哲理にはほど遠いのではないでしょうか」と優しく諭す手紙を送り、理想や信仰の世界まで論じるまでに成長した娘の成長を父は喜んだのです。

もともと体は丈夫なほうではなかった礎子さんは、1995年2月9日活動中の赤道ギニア共和国においてマラリアが原因で体調が急変し、病院に運ぶ時間もなく突然亡くなった。26歳だった。前日までとても元気だったという。

第一報をお聞きになられた文鮮明師は「世界的基準で昇華式(葬儀)を行いなさい」と語られた。世界的基準で行うことは極めて異例なことであった。

礎子さんの死から3年後、現地には女性のための職業訓練校が建設され「モトコ・スクール」と名づけられ、さらに幼稚園や小学校も建設された。
一粒の愛の種は、アフリカの大地に根を張り、ようやく美しい花を咲かせようとしている。

礎子さんの精神は、ここを訪れる人や「モトコ」の名を冠した学校や訓練校を卒業した人々の心にも記憶されることであろう。


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神に捧げた愛と命とー殉教(3)-

殉教された小幡憲昌さんの尊い生涯を『神に捧げた愛と命と』(光言社)を参考に書かせていただきます。

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小幡憲昌(おばたのりまさ)さん  
  1956年5月10日 長崎にて出生
  1976年9月     世界基督教統一神霊協会に入教
  1985年9月     志願して渡米。テネシー州ナッシュビルで活動
  1986年3月19日 公園にて銃撃され昇華(享年29歳)
  2004年5月1日  殉教部門「真の父母賞」受賞

1985年9月、自ら志願して米国に渡った。もちろん宣教のためである。
彼に与えられた任地が、テネシー州ナッシュビル。

この地に来て半年後に、彼は千葉県に住む母親にあてて、一通の手紙を書いている。
「食べたいと思っていたお餅や、それからラジカセを、どうも有難うございました。新しい物だったので驚きました」と母親の心遣いにお礼を述べ、憲昌さんは己の胸中を吐露して、次のようにつづる。

「『もし世界を得ても生命を失ったら何になろうか。得ようとする者は失い、失おうとする者は得るであろう』という聖句がありますが、公的に生き、犠牲になって死んだとしても、永遠に住む本郷の地、霊界でどれだけの喜びを得るでしょうか。
愛したという心情の実績だけが、霊界に持って行くことのできる私たちの宝です。
自分は、自分に一粒の麦となって死ぬことを許してくれるお母さんを本当に誇りに思います」


続いて、自分は氏族の代表という意識で米国に来ているのだと言及し、再び「自分は本当に感謝しています。
お母さんがいたから、今まで生きてこれました。
そして、国のために、米国のために、氏族のために、お母さん、本当にありがとう。
本当に感謝します。もしできるなら、自分が良く生き、良く死ねるように祈ってくだされば幸いです」
と、感謝とともに並々ならぬ決意を披歴している。

米国に対する神の真の願いと、現実の米国社会との間にある、あまりに激しいギャップに嘆き、その深い溝を埋めるためならば、喜んで我が身を差し出そう・・。
そんな覚悟を、彼はひそかに心に抱き,それを日本に一人残る母に伝えたのが、この手紙のように思えてならない。

だが、我が子の「遺書」のような手紙をもらって、母の昌子さんは返事を出さなかったという。

小幡さんはその後、谷口伸子さんにも似たような文面の手紙を出していた。
「近々、黒人牧師の教会で証しをするようになっているので祈ってほしい。・・・自分は今、自分の身の上に起きるすべてのことに感謝できる境地になったので、安心してください」こう記して、
ヨハネによる福音書第十二章の有名な「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」という聖句が添えられていた。

小幡さんが母の昌子さんに出した手紙の日付は、1986年2月8日だった。
それからちょうど40日後の3月19日。
憲昌さんは、教会のメンバーがよく祈祷するために集まる教会近くの公園で、翌週の日曜日に黒人牧師の教会で話す準備のための訓読中に、背後から銃撃されたのだった。

皮肉にも彼を撃ったのは別のキリスト教会の黒人牧師の息子で、麻薬常習者だったという。

母親の昌子さんにしてみれば、女手一つで育て上げた、一人息子の突然の死。
激しい怒りをぶつけてもおかしくはなかった。だが、昌子さんはそうはしなかった。

米国で変わり果てた憲昌さんの遺体と対面した昌子さんは、不思議な感動に包まれたのである。
これはどういうことなんだろう。

その時、彼の青春、彼の人生を決定づけた教会の教えを聞いてみないといけないと思ったのです。

憲昌さんの死は、ただの「死」には終わらず、愛する母親を伝道し、さらに祖母へとみ言葉は広がっていったのである。

小幡さんが生涯を通じて愛した米国でも、多くのクリスチャンや牧師らが伝道された。

現在、黒人牧師たちが積極的に文鮮明師ご夫妻を証しし、神のみ旨をリードしていることと、小幡さんの殉教、昇華とは深いところで結びついているに違いない。

昌子さんは教会で、若いメンバーや女性教会員から「お母さん、お母さん」と慕われている。

「一粒の麦」は死に、数知れない人々の命を復活させた。
彼の最後の手紙の内容は文字どおり豊かに成就したと言えよう。


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神に捧げた愛と命とー殉教(2)ー

殉教された方の尊い生涯を『神に捧げた愛と命と』(光言社)を参考に書かせていただきます。
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渡辺 優(わたなべまさる)さん  
  1953年8月4日  静岡県浜北市にて出生
  1973年8月     世界基督教統一神霊協会に入教
  1976年4月17日 アメリカのニューヨークで活動
  1976年5月27日 黒人少年に殴られ意識不明
  1976年6月1日  昇天(享年22歳)
  2004年5月1日  殉教部門 特別功労賞受賞

渡辺さんは、高校卒業後、上京。
アンテナ工業株式会社に入社して、まだ、3か月目。
小学校の時、キリスト教宣教師が開いていた日曜学校に通ったことがあり「神様はいると思いますか?」という問いかけに、懐かしさを覚え入教した。

統一原理のみ言葉は優しさと明るさにあふれた彼に、精神的な{強さ」を加え、熱心に夜遅くまで伝道に投入した。

水も全く飲まない、一週間の完全断食を決行。
水を飲む普通の断食より3倍は苦しいといわれる完全断食中も、会社を一日も休まなかった。

21歳の誕生日の日記に「決断の時」と題して次のように書いている。

「天の父と主のみ前にこの命を捧げるがゆえに、もう自分がどんな命令によって反吐を吐いて、この地に倒れようとも、それは前向きに倒れて、必ずそこから何かを掴んで雄々しく立ち上がり、どのような苦しみ悲しみも、それは神の恵みであると感謝して、完全に、神の心情を奪ってしまうことが、死力を尽くしたところから成就できるよう、努力したいと思うものであります」

1976年4月17日渡辺さんはアメリカ・ニューヨークの地に降りた。
当時、天はこのアメリカで重要なみ旨を進めていた。

わずか200年にして世界最強の民主主義国家になったアメリカ。
自らの命を捧げて信仰の新天地を求めたピルグリム・ファーザーズの精神を、神様は祝福し、世界をそのような愛と信仰で満たしてほしい、との願いを託した国であった。

だが、建国の精神を忘れてしまい、道徳的退廃にまみれてしまっている。これではいけない。
「アメリカよ神に帰れ!」という天の声を伝えるために、統一教会は「マジソン大会」「ヤンキー大会」に向けて全力を投入していた。

渡辺さんはメンバーとともに早朝から大会の参加呼びかけに加わったのである。
5月27日、活動を終えて帰宅中、二人の黒人少年が近づいてきて、彼の時計を奪おうとした。
つかみ合いの乱闘になって、彼は殴られて意識混濁。
3か所の頭骸骨骨折、頸動脈切断、意識不明。
日本から駆けつけた両親と別れの言葉を交わすことなく6月1日、彼は息を引き取った。

6月3日、告別式の中で主礼のニール・サローネン会長は
「彼は自分のなしたことを後悔しておりません。なぜなら、彼はアメリカのために死に、彼はアメリカの歴史に偉大な人として生きるであろうからです。悲しむより、私たちは彼が示してくれた模範に従っていくことを誓うことによって彼の死を誇らなければなりません。そして神様も彼を愛し、誇りにしているのです」

また、文師は涙ながらに次のように語られた
「今回、日本の教会員が犠牲となりましたが、亡くなった彼の両親に対して私は本当に申し訳ないです。そこに行ったなら必ず、彼の墓地を訪問するように。(略)将来この家は歴史的な追慕の対象になるであろうし、彼の行跡は永遠に、若者の胸に火をつけるであろうと思うのです」

2004年渡辺さんを導いた川谷さんが渡辺さんの代理で、文師御夫妻から殉教部門の特別功労賞を受けられました。
このとき川谷さんは次のように言っています。
「彼が殉教した時、私は決心したことがあります。彼は生きてみ旨(神の願い)を完成したかったに違いありません。彼に代って、信仰の親として彼の分まで頑張ろうと神様に誓いました」
渡辺さんを心から愛した彼の家族もまた、悲しみを乗り越え、彼の生涯を誇りに思える時が来るでしょう。


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神に捧げた愛と命とー殉教(1)ー

神の願いに生き、殉じた清い魂の記録ー『神に捧げた愛と命と』(光言社)を最近読ませていただき、殉教された彼らの生き様と、人生哲学、精神に凄く感動しました。
                     『神にささげた愛と命』 光言社

私もかつて“日本宣教師”として韓国、アメリカのアイオワ州、ニューヨーク州など海外宣教を幾たびか経験しています。

海外宣教は筆舌に尽くせないほど大変であり、まさに死んだ立場に立たなければできないことです。

今回、この本を手にしたとき、同じ宣教師として彼らの生き様と、人生哲学、精神についてたくさんの方に伝えなければならないと感じました。

本書から抜粋しながら数回に分けて書いていきたいと思います。

発刊によせて世界基督教統一神霊協会会長、徳野英治氏が次のように書いています。(一部抜粋)

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相続すべき気高く清く美しい殉教者の精神

日本統一教会は今年、2009年10月、記念すべき創立50周年を迎えます。
このような年に、神様のみ旨(願い)のために殉教された方々の尊い生涯を描いた『神に捧げた愛と命と』が刊行されたことは、摂理的にも歴史的にも、とても意義深いことであると思います。

本書にも紹介されていますが、1976年、アメリカ建国200年を記念する大会が開催されたとき、一人の青年が殉教しました。
同年6月1日、ニューヨークのヤンキー・スタジアムで行われる「ヤンキー大会」の成功に向けて熱心に活動していた渡辺優さんが、黒人少年によって殺害されるという痛ましい事件が起きたのです。

大会後、創始者、文鮮明師は次のように語られていたというのです。
ある雨の激しい嵐の吹く日、外の悪天候をじっと見つめておられた文鮮明師が側近に吐露された言葉は、
「雨が激しく降るのを見る度ごとに、宿泊する家もなく、他人の家の軒下を借りて、一時的にでも雨をしのがなければなければならない、外国での宣教活動のゆえに筆舌に尽くし難い苦労の中にある献身的な教会員たちに思いを馳せ、その無事と安全を祈らざるを得ない。
特に共産圏や回教(イスラム教)圏での宣教に命懸けの苦労をしている人たちのことを片時も忘れることができない!」というものでした。

私たちは、神様が真の愛の方であり、すべてを与え、投入される方であることを知っています。

また、文鮮明師ご夫妻も、神様のために、人類救済のために、愛を投入され、すべてを犠牲にしながら、投入し続ける生涯を送っていらっしゃいます。

私たちは、「ために生きる」人生こそが崇高で清く、美しい人生であるとして、そのような人生を送ろうと努力しています。

しかし、実際にそのように生きることは容易なことではありません。

「天は清いものを供え物としてとられる」と言われますが、まさに清い方々が若くして殉教されたのだと思わざるを得ません。

この方たちの生き様とその人生哲学、精神を、私たちは謙虚に学び、相続しなければならないでしょう。

そして、彼らが成し遂げようとしてできなかった無念な思いを深く受け止め、彼らの代身となって、神様のみ旨成就のために、幾多の苦労があったとしても感謝し、自らを供え物となして、「ために生きる」生涯を送らなければならないと痛感するものです。

私たちも、天地に恥じることのない、清く美しく気高い生涯を送れるよう励みたいものです。

今回、桜庭薫氏の尽力によって、殉教者のすべてではありませんが、10名の方々の、神様のために捧げた、純粋で清い信仰の足跡が一冊の本の出版という形で記録されたことは、実に意義深いものであり、感謝の気持ちでいっぱいです。

この貴い記録は、今、神様のみ旨を歩む私たちのみならず、後孫にとっても貴い財産となるものであると確信し、その永遠なる価値を輝かせ続けることを祈念してやみません。
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プロフィール

sato family

Author:sato family
名前:sato family
4世代、8人国際家族と犬一匹
長野県出身の東京都在住
宣教師

著書:『心を甦(い)かして』(文芸社)
  『成功と幸福を呼ぶ不思議な言葉集』
 

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